2016年7月1日 チャペルメッセージ

「眩しすぎるぜ!!」河田 優 チャプレン

コヘレトの言葉 11章7節
光は快く、太陽を見るのは楽しい。

礼拝は「祭り」だ!!これは正しいことです。
日本でも外国でも、信仰する神様が与えてくださる恵みに感謝し、祝うことを祭りとしています。キリスト教の礼拝でも、イエスの復活したイースターは復活「祭」。イエスが生まれたクリスマスは降誕「祭」と呼んで礼拝しています。つまり、礼拝は祭りなのです。だからルーテルの学生として正しく夏祭りを過ごすには、まず礼拝に出なければならないということになります。

さて、今年の夏祭りのテーマは「光」です。そして昼の礼拝に与えられた聖書箇所は先ほど読んでいただいたコヘレトの言葉11章7節でした。もう一度お読みします。
「光は快く、太陽を見るのは楽しい。」

この与えられた聖書箇所で何を話そうかと悩みました。確かに太陽は素晴らしい恩恵を私たちに与えています。光や熱。これらのものが地球上の私たちの命を支えている。だから太陽は、神様にもなぞらえられます。聖書でもマラキ書には救い主到来を預言する言葉として、「義の太陽が昇る」とも書いています。
だからと言って、太陽を見てもいいんでしょうか?私は小学校の理科の時間に習いました。「太陽を直接見てはいけません。」だから聖書はこう書いているけど、直接、太陽を見ない方がいいと思う。目を痛めてしまいます。

では、太陽の存在を私たちはどのようにして知ることができるのでしょうか。それは直接、太陽を見なくても、太陽の光に照らされ明るくなった世界を見て、私たちは「ああ、日が昇ったな」とか、「今は真昼時だな」とか、太陽があるのを知ることができる。つまり、太陽の光に映し出されるものを通して、太陽が確かに今昇っているということを誰でも知ることはできるのです。
神様も同じように言えるかもしれません。神様を直接見ることはできないでしょうし、聖書には直接、神の姿を見たら死んでしまうようなことも書いてあります。太陽を見るどころではない。太陽は眩しすぎて見えないが、神様も圧倒的に正しいお方なので罪ある私たちが直接見ることは出来ないのです。でも太陽が光で照らし、その存在を示すように、神様もその光をもって様々な物を照らします。人と人との出会いに神様を感じたりする。その時に掛けられた言葉に励まされた。神様を感じたりする。自然と出会う。そこの映しだされた壮大さに神様を感じたりする。あらゆるものを通して神様を感じることができる。この神様が放つ光を「愛」という言葉に置き換えてもいいでしょう。

私たちは、時々、神様に会いたい、神の姿を見たいと望みます。特に闇の中で過ごすように、悲しみや寂しさに囚われている時には神様をこの目で見たいと望むのです。しかし、その姿を直接この目で見ることはできません。でも神様はあなたのそばにいます。太陽がその光によってすべての物を浮き上がらせ、太陽の存在を示すように、神様はすべてのものを愛されることによって、ご自身の存在を私たちに教えます。

神様のまぶしすぎる愛は、あらゆるものを照らします。今日の一日は、あの人、この人、あの出来事、この出来事、すべてに神様の愛を見つける夏祭りとしてください。

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