2017年1月1日 チャペルメッセージ

2017年1月のメッセージ

ルーテル学院大学では、授業のある日は毎日、お昼の礼拝が行われています。参加は自由ですが、授業の合間にほっと一息、心を静めるひとときになっています。ここでは、礼拝メッセージの一部をご紹介します。

「Where there is a Will, there is a Way.」河田 優 チャプレン

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 詩編 37編4~6節

主に自らをゆだねよ/主はあなたの心の願いをかなえてくださる。/あなたの道を主にまかせよ。信頼せよ、主は計らい/あなたの正しさを光のように/あなたのための裁きを/真昼の光のように輝かせてくださる。
2016年度として、私の行う最後のチャペルメッセージになります。ですから、卒業を控えている方たちに礼拝の中でお話するのもこれで最後になるかもしれません。どの聖書の言葉を伝えようかと考えて、先ほど読んでいただいた詩編の言葉を選びました。
そして、そのタイトルは「Where there is a Will, there is a Way.」(意思のあるところに道がある。)です。「あなたの道を主に任せよ」と「意思のあるところに道がある」は一見、相反することを言っているようですが、私はそうは思いません。そのことを少しお話しようと思います。

まず、このメッセージタイトルになっている言葉は、皆さんもどこかで耳にされたことがあるかと思います。うちの娘の一人が今年、大学受験なのですが、彼女と年末に録画した「ビリギャル」を観ていた時にも出てきました。万年クラスでビリだった女子高生が慶応大学合格に向けて努力を始めた時、予備校の教師が「強い意志が新たな道を開く」とこの言葉を引用して励ますのです。
そもそもはアメリカ16代大統領リンカーンの言葉として知られています。このリンカーンもまさに丸太小屋で生まれ、貧しい生活をしながら、人種差別問題に全力で取り組み続けました。悲しいことに内戦が勃発してしまいましたが、彼は自らの意思を貫き通し、大統領として奴隷解放を宣言するまでになるのです。彼はその五日後に暗殺されましたから、その生涯こそ、強い意志に導かれた生涯であったと言えるでしょう。
私たちもまた、このリンカーンにあらわされるように、自分の行く先の目標を定め、その道を歩み始める自分を信頼し、どのような困難にも決して負けない強い意志をもって与えられた自分という生涯を歩み続けることはとても大切なことであろうと思います。特に卒業される方たちは就職するにしろ、新たに学び始めるにしろ、「Where there is a Will, there is a Way.」の言葉を心に刻んでいただけたらと思います。

しかしまた、聖書では「主なる神様に自らをゆだね、その道を主に委ねなさい」と教えています。このことは一体どういうことなのか?
まず、ここで考えておきたいことは、自分の道を歩むのに、この自分は何もしなくてよい、すべては神様任せではない、ということでしょう。ちなみに5節の「まかせよ」と訳された言葉は本来のヘブル語(「ガーラル」)の意味では、例えば、石っころなどを「ころがす」という意味です。さらに「自分の道」という言葉に並んで、「主の上に」(「アル・アドナイ」)という言葉がありますから、「主なる神様の上に敷かれた自分の道に自分自身を転がせ」というような意味になるのでしょう。
つまり、私たちは与えられた人生の中で、またその一瞬一瞬で何もしないでいるならば、ただ道の上にぽつんと置かれた石っころで終わるのでしょう。聖書はそのように生涯を送りなさいとは言っていないのです。転がらなければならない。とどまるのではなく、前に進まなければならない、これが与えられた命を生きるということですし、生涯を歩み続けるということになるでしょう。
当然、石っころもある場所が違うように、私たちもそれぞれに与えられた環境の中での転がることでしょう。また石っころには様々な形や大きさがあるように、私たちの転がり方も違うでしょう。その違いは良いのです。それでもなお、自分の置かれた環境にあきらめず、自分の石っころとしての形にくじけずに与えられた道を転がっていくのです。

そして、この詩編が何よりも大切なこととして伝えたいのは、誰しもが自ら転がり続けることによって開かれる道というのは、どこに向かう道であっても、またどのような道であっても、すべて「主なる神様の上に」敷かれる道であるということです。大きな神様というフィールドが私たちを支えてくださる。どこに転がろうとそのフィールドから飛び出すことはない、だから、自らの進むべき道をすべて「主に任せよ」ということになるのです。神様に信頼をするからこそ、そしてこの神様が私の歩み道を支えてくださるからこそ、私たちは主に委ねて、自らの歩みを進めて行くことができます。
「私は自分なりに目標を定め、精いっぱい自分に与えられた命を生きていきます。だから、神様、私のすべてをあなたにお任せします。」自分の進むべき道が、どれほど困難な道でもその道が自分に与えられた道であると信じるならば、すべてを主に任せてその道に自分のすべてをかけていくのです。

私たちも今、このルーテル学院で日々の歩みを続けています。それぞれ与えられた目標に向かい、困難に悩まされながらもなんとか耐えて、精いっぱい生きていることでしょう。そのような日々を送る皆さんのことを神様はご存知です。そしてその歩みを支えてくださっています。
また、この学校を卒業していく方たちも、さらに社会の責任の中で、また新たな学びの中で歩みを続けていかなければなりません。でもあなたがどのような道が与えられようとその道に自分自身を任せていくのであるならば、主なる神様は全力であなたを支えてくださることでしょう。あなたの道は主の上に敷かれた道であるのです。ただ主に信頼し、自分の道を力強く歩み続けてください。
Where there is a Will, there is a Way. 皆さんの行く道に主の祝福がありますように。

「逃げるは恥だが役に立つ」秋貞 由美子 専任講師

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コリントの信徒への手紙 10章13節

あなたがたを襲った試練で、人間として耐えられないようなものはなかったはずです。神は真実な方です。あなたがたを耐えられないような試練に遭わせることはなさらず、試練と共に、それに耐えられるよう、逃れる道をも備えていてくださいます。
私は2006年にルーテル学院大学に赴任しましたので、今年で丸8年間働かせていただいたことになります。この間いろいろな仕事をさせていただきましたが、そのうちの一つに、大学での学びの一環として学生を実習やボランティア、インターンシップなどに送り出すこと、そして、卒業後の就職にむけて支援すること、というお仕事があります。
やってきた仕事それぞれに喜びがありますが、私が最も「この仕事やっていてよかったなー」と思う場面は、卒業生が大学に顔を出してくださり、仕事が充実していること、りっぱに働いている様子がわかるとき、です。
在学中は「どないなろか」と思った、まあ、デキがよいとは決して言えなかった学生が、すっかり職業人として成長した姿を見せてくれると、喜びもひとしおです。ああ、職場が彼を、彼女を、育ててくださったのだなあと、感謝の想いでいっぱいになります。

一方、卒業生のなかには、仕事がうまくいかず辞めたいと相談に来る人もいます。原因は職場の人間関係であったり、体を壊してしまったりと、人それぞれです。通常は新卒で就職した職場には最低3年から5年は働いたほうがいいといいますが、話を聞いてみると、これ以上同じところで働き続けるのはこの人のキャパシティを超えているかもしれないと思われるケースもあり、転職活動をサポートすることもあります。そういうときの卒業生が自信をなくしていることも多く、この経験を決して後ろ向きではなくポジティブに受けて止めて前に進んでほしいなあとなんとなく思っていたところに出会った言葉が、今日のテーマ「逃げるは恥だが役に立つ」という一文でした。

この言葉は、去年まで放映されていたテレビドラマのタイトルです。かなり世間で話題になり、主題歌で踊る「恋ダンス」が流行しましたので、ドラマを見ていない方でも耳にしたことがある方が多いかと思います。ドラマのストーリーは、恋愛経験のない自称「プロの独身」という男性と、大学院卒で派遣切りにあって仕事がなくなってしまった女性が、ひょんなことから契約結婚をするというラブコメディです。
さて、このドラマの原作者によれば、「逃げるは恥だが役に立つ」という言葉は、ハンガリーのことわざで「逃げることは恥だ。しかし役に立つときもある。=恥ずかしい逃げ方だったとしても生き抜くことが大切」という意味だそうです。「逃げる」というネガティブな行為をポジティブに変換している響きが私のなかでストンと落ちて、礼拝メッセージの依頼があったときにテーマに選んだのでした。テーマを決めてからあわてて、「それでは、聖書にはなんと書いてあるのだろう」と調べて、さきほど朗読いただいた個所につきあたったしだいです。神様は試練にぶつかったときに逃れる道を用意してくださる。聖書にもそう書いてあるのですね。生きるためにはときに逃げてもいいのだ、と。

ただ、私は、単に逃げるだけではだめではないかと思うのです。逃げた後に起こることを自分の責任で受け止めることが大事だと。たとえば、仕事が厳しくて退職したあと、なかなか次の仕事が決まらずつらい思いをしたとしても、それを誰かのせいにするのではなく、自分の選択で起きたことだと受け止め、次の道に向けて努力をすることが必要だと思うのです。試練から逃げても自分の人生から逃げてはいけないのです。
そして原作者はこうも言っています。
「不安なら逃げるのもあり。でも残したものが大切なら息を整えて戻ってくることも必要」
たとえば、友人との関係、恋愛関係、家族の問題で悩んでいるとき。その場からいったん逃げたほうがいい場合はあると思います。でも大切な相手なら、時間をおいて自分の力がついたらまた向き合うことも必要だと。

私たちは様々な試練に出会ったときどう向き合うか。今日の聖書のみことばはその道を示してくださっていると思いました。どんな試練があったとしても生きていきましょう。誰かに相談したり、助けを求めましょう。必要なら聖書に書かれているとおり、きっと逃げ道を神様が用意してくださいます。そしてたとえ逃げても、力をつけたら、また戻ってきましょう。

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