2016年9月1日 チャペルメッセージ

「知る力と見抜く力を」(大学院前期学位記授与式)江藤 直純 学長

フィリピの信徒への手紙 1章9~10a節
わたしは、こう祈ります。知る力と見抜く力とを身に着けて、あなたがたの愛がますます豊かになり、本当に重要なことを見分けられるように。

大学院の修士課程、博士後期課程を終えるということがどれほどの苦難に満ちた、険しい山々を登るのにも似た営みであるのかは、以前やはり同じようにその道筋を歩んだ経験のある者ならば理解することのできることです。コースワークも決して楽とは言えませんが、論文の執筆と合格が最難関です。修士論文、博士論文のテーマを定めること、そのゴールに達するために、自分で立てた仮説を実証する実験や調査をすること、もろもろの先行研究を読破し吟味すること、膨大な関連する文献を渉猟すること、そして、自分の新しい見解を明らかにして、論文の形に仕上げること、書いては直され、直されては書き、なんども挫折し、それでも己を奮い立たせて再びパソコンに向き合い、なんとか書き上げること、提出しても、最後の関門、厳しい論文審査、口頭試問が待っていて、普段はあんなに優しい先生方が矢継ぎ早に質問を浴びせかけられること、それらに答え、ディフェンスすること。
そのような長く苦しいプロセスを経て、ここにいらっしゃる三人の方は今日晴れて学位記を授与されます。心からその労をねぎらい、みなさんが初志を貫徹し、目標を達成したことを共に喜びたいと思います。ここまでの険しい道のりを歩み通すために、この学問的な取り組みの意味を理解し、心身の健康を配慮し、陰に陽に励まし支えてくださった家族と、同じ道を歩む友人たちの喜びも一入だと思います。
このあと、一人ひとり名前を呼びあげられ、学位記が授与されることで、みなさんのこの数年間の労苦は報われるのです。
その喜ばしい日に、わたしたちは本学創立以来の伝統に従って、入学式のときと同じように、人間と世界の創造主である神と、一人ひとりに神の愛を伝え、救いをもたらすイエス・キリストの前に立ち、その神の御心を聴くべく、聖書の言葉に耳を傾けましょう。

今から約二千年前、イエス・キリストが十字架に架かり、復活をしてから30年ほど経ったとき、地中海世界を巡り歩いて福音伝道に専念していた使徒パウロという人が各地で多くの手紙を書き残しました。それらの中の一つに「フィリピの信徒への手紙」と呼ばれる比較的短い手紙が新約聖書の中に収められています。短いと言っても日本語に訳して7000字近くあるので、今日の感覚で言うとかなり長めの期末レポートか、ちょっとした論文の分量です。リアルタイムでメールをやり取りすることができるわけでもなく、手紙を届けるにも郵便制度ができていたわけでもないので、書ける機会があるときに、離れている信徒たちの安否を問い、自らの近況報告をすると同時に、イエス・キリストが遺された教えの核心部分を個別具体的な状況を生きている遠隔地に住む信徒たちに説き明かし、生き方の勧めも書き記しているのです。
その中の僅か4行だけをピックアップして、ご紹介し、ともにその文言に込められたメッセージに聴き入りたいと思います。
「わたしはこう祈ります」、こう言ってパウロは語りかけます。「祈ります」というのは、こう考えますとか、こういう意見を持っていますとか、ちょっとお勧めしますとかと言った程度の相手への関わり方ではないのです。「祈ります」というのは、わたしは全身全霊であなたのために願います。それも自分の力の及ぶ範囲は限られるので、自分が信じる神さまになんとかしてくださいと祈り求め、願いが叶うようにその神さまに信頼して全面的にお委ねしますという姿勢なのです。それほどまでに真剣になって、以下のことがその人に成就するようにと心の底から願っているのです。 なにを祈るのかと言えば、あなたがたが「知る力と見抜く力とを身に着けて」、そうです、「知る力」あるいは知性と言いましょうか、そして「見抜く力」、観察力いえ洞察力と言いましょうか、その二つをしっかりと身に着けてほしいと言っています。しかし、それは、知性のための知性、洞察力のための洞察力を磨きなさいと言っているのではありません。「知る力と見抜く力を身に着けて」どうするのかと言えば、使徒パウロはそれに続けて「あなたがたの愛がますます豊かになり、本当に重要なことを見分けられるように」と語ります。「愛がますます豊かになるように」です。自分の生活がますます豊かになるようにでもなく、自分の収入がますます豊かになるようにでもありません。自分のキャリアにますます箔がつくようにでももちろんありません。自分の知識がますます増え、自分の技能がいっそう磨かれるようにとも言いません。知識が増え技能が磨かれるのは、それはそれできわめて大事ですが、それが自己目的でもなく、それが究極の狙いでもないのです。パウロは明確に、少しもぶれることもなく、きっぱりと言い切ります。知る力と見抜く力を増し加えて「あなたがたの愛がますます豊かになるように」、さらには「本当に重要なことを見分けられるように」と。

愛とは——キリスト教的な言葉を使うなら、隣人愛ですが——、ああ、わたしは困難な立場にあるだれかを愛しているのだという自分の心の充実とか満足といったことが狙いではないことは言うまでもありません。だれかを好きになり好ましく思うようになるだけでもありません。心の優しさ、あたたかさ、親切さ、きめ細やかな思いやり等々が愛の特徴でしょう。しかし、それにとどまりません。情緒的、感情的な側面だけではなく、もっともっと具体的にどうすることかも問われます。それは、相手の人が人間として大切にされるようになる、その価値が重んじられ尊ばれるようになる、そして、いのちの輝きを取り戻す、生きているあるいは生かされている喜びを味わう、さらには、身体的・精神的・社会的またスピリチュアルな困難が減らされ、あるいはそれらの困難を抱えていてもなお生きる希望と勇気を持てるようになる、突き詰めれば、人間の尊厳を回復し、豊かな人間性を備えて生きることができるようになる・・・そのような状態になるように、及ばずながらも、そして心の底から、全身全霊を傾けて、その人に関わるのです。その関わりとは、その人を受け止め、深く共感し、寄り添い、支え、必要なら具体的な援助の手も差しのばし、立場は異なっても共に生きて行く、そういう関係を生きるようになることこそが愛することだと呼ばれるでしょう。少なくとも聖書は、愛というものをそのように捉えていると言っていいでしょう。

皆さんがこれから就く、あるいは既に就いていらっしゃる職業は広い意味で対人援助職と呼ばれるものでしょう。臨床心理士としてであれ社会福祉士としてであれ、具体的な人間と関わり、その人のいのちを支えて行く役割を担っていかれることになるのでしょう。使徒パウロは、あたかもフィリピにいる信徒たちがそのような専門的な対人援助職に就いているかのように、こう言っています。「わたしは、こう祈ります。知る力と見抜く力とを身に着けて、あなたがたの愛がますます豊かになり、本当に重要なことを見分けられるように」と。
ただ「愛がますます豊かになるように」と祈るだけでなく、そうするためには、そうなるためには、「知る力と見抜く力とを身に着ける」ことが必須だと知っているからこそ、こう勧め、こう祈っているのです。
誰かが大怪我をしている、その人はいのちの危機に瀕している、私はその人を愛しているのだから、ただちに手術をしなければと思っても、その人の身体的な状況が正確に分からなければ、そもそも体の仕組みや生理的な働きの法則を知らなければ、適切な治療などできるはずもありません。どんなにその怪我人を思う気持ちが強くても、素人がメスを振りかざしてはかえって危険極まりないのです。だからこそ、そのためにもろもろの医学的な知識が必要だし、技術が必要です。心の状態も社会的な境遇もスピリチュアルな課題もより包括的全人的なヒューマン・ケアをするためには知る必要があります。 そのために皆さんは、学問をする、学問を深めるという道を選ばれました。ルーテル学院大学の大学院をその教育と研究の場として選ばれました。その中で、援助する相手の人間存在の複雑さ、重層性、多面性、表も裏もあるアンビギュアスな、つまり両義的、多義的な性格、変化しないものもあれば変化するものもあることをはじめ、人間とはなんと神秘的なものかということをよくよく学ばれたことでしょう。言うまでもありませんが、口に出した言葉が必ずしも心の奥底からの言葉ではない場合だってあります。また、個の自立が叫ばれますが、人間はけっしてその環境、人間関係や属する集団、さらに広く社会から孤立して存在しているわけではなく、見えても見えなくても実に不思議な絆、関係があり、それらから影響を受けます。環境からまったく切り離されて生きることができるわけがないことも確認なさったことでしょう。
だからこそ、そういう人間、そういう社会についての理解を広げ深めることが、よりよいサービスを提供できる前提になります。臨床心理学専攻修士課程で学ばれたこと、社会福祉学専攻博士後期課程で究められた研究も突き詰めればみなこの人間というものと人間がその中で生きる社会というものの本性を、そしてそのバリエーションをよりよく理解するためのツールと言えるでしょう。しかも、一般論、法則が機械的に当てはまるのではなく、一人ひとり事情が違います。個性があります。その理解が確かになるときに、それへの介入の仕方、援助の仕方がよりよく分かってくるのです。相手によって、その人の置かれている状況によって、もっともふさわしい関わり方が見えてくるのです。そうするために必要なのが、パウロの言う「知る力と見抜く力を身に着ける」ことなのです。「あなたがたの愛がますます豊かになる」ため、そして「本当に重要なことを見分けられるようになる」ためにどうしても必要なことなのです。

「心と福祉と魂の援助をする高度な専門家を養成する」ことを使命とするルーテル学院大学は、聖書が説く隣人愛の実践、あるいは困難の中にある人への奉仕の働きを生きる人々に対して、その心の在り方、価値観を高め深めるとともに、より複雑化し、個人の努力だけでは解決しない課題山積の社会を生きる人への適切なヒューマン・ケアをできるように、専門的に援助できる力を増し加える教育と研究を進めてきました。
皆さんは、隣人への、とりわけさまざまな困難を抱えて生きる人々への愛をますます豊かにするために、ルーテルの大学院での教育と研究を修めることを通して「知る力と見抜く力とを」増し加え、身に着けられました。すばらしいことです。

最後に二つのことを申し上げます。一つは、「知る力と見抜く力」は、そして「愛」というものは、物のように使えば使うほど減るのではなくて、逆に使えば使うほど増えるものだということです。どうぞ実践の中で惜しみなく注ぎ出し、発揮してください。
第二は、キリスト教の信仰によれば、「愛は神から出るもの」です。「神は愛です」(ヨハネの手紙4:7-8)。ですから、わたしたちが無理やり自分の中からないものを絞り出そうとしなくても、神さまから愛する力が与えられるということを信じてください。不安になることも焦ることもないのです。愛は、愛する力は、与えられるのです。そうすることで、わたしたち一人ひとりは、神さまが困難の中にある人に差し出そうとされる愛の伝達者、媒介、チューブとされるのです。ヒューマン・ケアの専門職としてのわたしたちの働きをそのように生かし用いてくださるお方を信頼して、働きの成果もお委ねして、心安らかに務めに勤しんでください。
そのための用意ができた皆さんを送り出すことを大きな喜びとします。そういう卒業生がこれから社会の中で活躍することを誇りに思います。愛の神さまの祝福がお三方の上に豊かに注がれますように、心からのお祝いと共に、祈ります。アーメン

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