ルーテルの人 ルーテルの人

じっくり、ふかく、そしてのびやかに
ルーテルという “窓” をとおして、人間を見つめ、世界について考えます

宮本 新 准教授
専門分野:キリスト教学、組織神学、宣教学

miyamoto2

メッセージ

「あなた自身の井戸から水を汲み あなた自身の泉から湧く水を飲め」(箴言5・15)

すべての植物に根が大切であるように、人が“よく生きる”ために必要なものがあります。本学でそれを探り当て、汲んで味わってみませんか。みなさんがこれから先にどんな仕事や専門性を身に着けても、また社会が動き、世界が変わっても、支えとなり土台となる考えがあります。現代社会とキリスト教をじっくりと、深く学ぶことを通して、人類的な叡智の泉に触れる学びを共にしたいと願っています。

授業の紹介「いのち学序説」

    授業で学べること

人間の「いのち」について基礎的なことを広くそして深く学ぶことを目指した授業です。特に現代社会を生きている私たちにとって、いのちをめぐる問いは幅広く複雑なものとしてあらわれてきます。たとえば昨年の授業では「精子のネット取引」や社会問題となった安楽死をめぐる事件、あるいはコロナ禍における命の選別といった生命倫理学の喫緊の課題を考える機会を設けました。しかしこれらは社会的で倫理的な課題であると同時にこれらを超えた次元もまた含まれています。人間とそのいのちの理解は古くからの歴史的な関心であり、哲学的で宗教的な課題でもあるからです。聖書や古典、芸術芸能も取り上げ深く考える機会があるのはそのためです。ですから学生はこの授業でいのちをめぐる基礎的な問題や知識を学ぶ事にもなりますが、学びを通じて、自らのいちを見つめ考えるような機会になると思います。

    「いのち学」とは

これは2000年代に本学に設置された総合人間学の比較的新しい科目です。一昨年創立110年を迎えた本学のはじまりはキリスト教の牧師を養成する神学校でした。現在は社会福祉、そして臨床心理に発展、おもに三つの専門領域を有していますが、これらに共通しているのはどの専門性(専門知識/職)も生きた人間の現実に深くかかわっており、その分、自らの専門性に閉じこもらないで広くて深い人間理解の確立が求められています。「いのち学序説」ではその基礎を学ぶという意味で生涯教育としても学べるし、またたえず自らの人間といのちの理解をアップデートしたり再統合するためのスタート地点を見定めるような学びと考えてよいでしょう。

    授業の形式

講義が基本にありますが、目指すべきは一方向から双方向、そしてディスカッションやグループワークなど多様な学び方にあります。授業の終わりには講義内容のリフレクションペーパー(ふり返り)を書いたり、毎授業のはじまりにそのリフレクションを分かち合ったりします。こうしてみるとずいぶん多くのことが求められていると感じるかもれませんが、100分ある一回の授業について一方的な講義を学生が聞いて終わることなく、学生本人がアクティブに参加して学べるかの工夫にあります。ただし昨年と今年は、コロナ禍においてオンラインによる双方向形式で行うので慣れないことも多く、一層の工夫が求められているのは進行形の課題です。

    授業で大切にしていること

「いのち学」のような総合的な理解が求められる場面で、この授業ではキリスト教的人間理解を軸としています。実際、授業を通して「キリスト教」は巨大な貯蔵庫のようなものだ、と感じることがあります。神学そのものはキリスト教の神や信仰について考えるのですが実はこの神を考えることを通じて探求されているのは人間についてであり、その社会であり、世界についてです。そこで数千年単位で人々が体験し感じて考えてきたことがあります。現代のようにいのちをめぐる問題が家庭から国際社会のレベルまで急速な変化を遂げているところでは、どこかで腰を据えてしっかりと考え抜いていく姿勢や方法を身につけなければならないと感じています。本学の場合、キリスト教的人間理解で積み重ねてきたものがあり、その線上で新しい課題に向き合い、学生の皆さんといのち理解の探求をしたいと考えています。

模擬授業「世界の扉の開き方~キリスト教学入門」

コロナ時代を生きる私たちはどんな風に未来の扉を開くのか。本学キリスト教学の視点から考えてみます。

https://youtu.be/TzpCMnHKRCQ

ALL INDEX