市川一宏研究室
思い出記
2002年度
旅日記
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−2003年度−
出会い
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−2003年度−
味めぐり
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−2003年度−
陶磁器のわがまま展覧会
徳島市内の展望
 何回も徳島県に来た。そして、見覚えのある人々。最近、景色にも関心をもつようになった。徳島市内の眉山は、下からは良く見ていたが、眉山から街を見たことがなかったので、パートナー研修の終了を一つに区切りに登ってみた。ロープウエーで約10分。見渡すと海、そしていくつもの川の流れ。やはり、徳島市は、水の豊富な場所であった。その豊かさが、住民の環境への思いやりを培っているのかもしれない。
眉山山頂より見下ろす徳島市街、奥には海が広がる
眉山山頂より
 ついでに一言。徳島名物の一つは、「すだち」である。但し、私の友人に対して許せないことは、刺身に直接すだちをつけること(色がかわります)、そして日本酒にすだちを入れること(味が隠れます)。この批判は譲れない。

徳島県海部町鞆浦地区
 海部町は、徳島県南東部にあり、総面積26.36平方キロ。人口2,722人で、高齢化率33.8%になる(14年4月現在)。大平洋に面し、清流海部川はとても美しい。大ウナギと源氏ボタルでも有名。鞆浦地区を訪ねた。港町で、人口703人、高齢化率35%の地区であり、古くから鞆千軒という口碑があるほど、家屋が密集している。土地の有効活用のために、隣の家の壁が、自分の家の壁になると言われた。
 嵐が来ると、雨戸になり、日頃は開けて、椅子にもなるとお聞きして、講演後の時間にお連れいただいた。なる程、心と生活を寄り添って生きてきた証とも言えるべき雨戸。「袖擦り合わすも何かの縁」と言われるが、ここではまさに毎日がそれ。まさに一つの文化と出会ったという感動を覚えた。

椅子になる雨戸 隣同士で壁を共有する 徳島県海部町鞆浦地区の町並み

椅子にした雨戸に腰掛ける

飛行機の中でのストレッチ
 宮崎県の地域福祉評価検討委員会の仕事を終えて、飛行機に飛び乗る。気流の問題は、朝のニュースで知っており、ある程度予想していたが、なる程。ほぼ満員の座席のいたるところから悲鳴が上がる。そして良いタイミングで機長もしくはスチワーデスのアナウンスが入る。周りに乗客の声が一時的におさまり、感謝。ドイツのハノーバー空港に今まさに着陸しようとした飛行機が急激に上昇した経験(滑走路に車がいたとのアナウンス)、台風が迫る中で、大揺れで着陸した八丈島空港(有視界飛行)、宮崎空港から長崎空港までの夜景を楽しみにしてきたプロペラ機が、大雨注意報が出された長崎上空を旋回した時等々、いろいろな体験をした私にとって、飛行機が揺れた時に落ち着く方法は、簡単です。「覚悟を決めること」。
 さて、羽田まで約30分のところで、ストレッチ体操の画面が写し出された。マッサージやストレッチの大好きな私は、画面にしたがった。しかし良く回りを見ると、その通りにしている人は、ブロックの中でも、同じ列のまん中の席に座っておられたお元気な女性数人と、はるか前に約2名。しかし理由は少し分かる気がする。
 できた理由は、第1に、私が「おじさん」であることを受容できていること、第2に私が後ろから2番目の席の窓側で、隣も後ろも乗客がいなかったこと。そして他の乗客ができなかった理由は、第1に飛行機が揺れていたこと、第2に注意として、競わないで下さい、痛くなるような無理な動作をしないで下さい、周りのお客さまに迷惑をかけないください等、私の記憶力を超える注意事項、第3に後ろを向くストレッチがあるが、後ろの乗客とは、約2時間では充分な信頼関係ができにくく、目をあわせてしまうことにかなりの勇気がいること等である。でもリラックスできたことは事実。
 ちなみに、この文章を書くために電車の棚に置いた、羽田空港で買った「らぽっぽ」(おいもさんのお店)の袋を忘れてしまった。コーティングされたポテトが好きな妻の喜ぶ顔が遠ざかっていく。「まっ、いいか」値段も1,000円。そして確か「ポテトは、冷やしてお食べ下さい」と書いてあった。自分を冷やせば良いこと。でも、くやしい。

新発田市
 私は20数年前に新発田市に来たことがある。雪が積もっている寒い2月、4日間滞在し、新潟県社会福祉計画を策定するための基礎調査を行った。はじめて新潟県に来たこともあり、北にある新発田市や村上市が下越地区にあり、それより南の、東京に近い地域が上越地区であることに戸惑ったことを思い出す。どのような報告をしたかは、後で資料を御覧いただきたい。
 今回は、新潟地区一日神学校の仕事で来たが、前日に少し早めに予定を組んで、清水園等を歩いた。雲が低く地域をおおう、日本海に面した地域に特有の気候と寒さに触れながら、2時間近く歩いただろう。
 清水園は新発田の市街地にある、かっての藩の御用地で、清水谷御殿と呼ばれていた。池を中心にすばらしい庭園が残っている。また清水園にそって流れる新発田川を隔てて、「足軽」が居住した茅葺(かやぶき)平家建ての八軒長屋があった。今は重要文化財である。
 しずかな趣の中、水鳥が水を揺らし、紅葉が水面に映える。また販売店には、有名な金魚車が売られていた。大小とも3,500円である。年に一度、祭りでは、大きな金魚みこしが町内を引かれる。

清水園の庭園 足軽屋敷 名物金魚車
清水園の庭園(左)足軽屋敷(中)名物金魚車(右)

宮崎と長崎をもっとも早く繋ぐサーブ
 約30人乗りの飛行機で、気候が悪ければ直に影響を受ける。乗客の座る席もバランスを考えて決められる。以前、夕方に発つ宮崎発長崎行きの飛行機に乗ったが、長崎では大雨警報が出されていたため、かなり揺れた。長崎空港の上空を何回もまわり、雲の切れ目を、見つけて着陸した。結果オーライであったが、たえず引き返すかもしれないとのアナウンスが流れ、引き返したらまた同じ揺れの苦しみを味わうのかという絶望感に襲われた。でも、揺れる分だけ、スティワーデスの乗客の状態に応じた丁寧な対応と資質が要求される。前回と今回のスティワーデスは、たいへん多くの配慮をして下さった。大型ジェット機のスティワードに比べると、なかなかの優れもの。乗客からスティワーデスへの挨拶が自然に生まれる。
 プロペラ機は低空で、それだけに揺れる危険性があるものの、天候が良ければ見える景色のすばらしさは言い尽くせないとのこと。後者にはまだ出会っていないが、今度こそ。

宮崎から長崎へ飛ぶサーブ機と、低い高度から見える機外の風景

平和と祈りと歴史と文化の街、長崎
 路面電車の県立病院前でおり、長崎大学医学部の旧正門に行く。これが原子爆弾の爆風の恐ろしさかと目を覆いたくなる。重い石で作られた正門の柱が動いていた。また近くには、被災した教職員と学生の魂をともらう石碑があった。そこから歩いて、約15分かかっただろうか。原爆資料館、原爆落下中心地、また平和公園に着く。たくさんのモニュメントがあり、鎮魂歌が刻まれる。

長崎大学医学部にある祈念碑
長崎大学医学部にある祈念碑と長崎大学医学部の元正門(爆風で傾いている)

モニュメント1

モニュメント2

モニュメント3 モニュメント4

モニュメント5 モニュメント6

原爆に襲われた浦上天主堂の壁 原爆落下中心地
原爆に襲われた浦上天主堂の壁(左)と原爆落下中心地

モニュメント7 モニュメント8

モニュメント9 モニュメント10

モニュメント11 モニュメント12

モニュメント13

 平和を祈る心にうたれ、平和を守ろうとする決意に感銘し、平和を築こうとする歩みに賛同した時であった。各モニュメントの説明は省かせていただく。写真では言い表せない。その前に立ち、それぞれが感じ、読んでいただきたい。
 平和の像の前では、小学生たちが「長崎にある国に」を歌っていた。そして折り鶴の棟に折り鶴を供える。子どもたちの誠実な態度と、事実を事実として受けとめ、将来このようなことが起こらないように学ぶ姿勢に大きな感銘を覚えた。学びをありがとう。

平和の像の前で歌う小学生たち
平和の像の前で歌う小学生たち

長崎の夜

出島の元オランダ領事館
出島の元オランダ領事館

写真・オランダ商館を示す標識
 

出島町9

日本26聖人殉教の地
日本26聖人殉教の地の碑
日本26聖人殉教の地

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