マルティン・ルター
INDEX
自分のためでなく
隣人のために生きて仕える生に
神の祝福があるように
隣人のために生きて仕える生に
神の祝福があるように
マルティン・ルター
ルーテルとは、ルターのこと
ルーテル学院大学の「ルーテル」とは、宗教改革者マルティン・ルター(Martin Luther)のこと。ルターは「自分のためでなく、隣人のために生きて仕える生に神の祝福があるように」という言葉を残しており、本学のキリスト教教育の基盤となっています。なぜ、ルターではなくルーテル?
明治時代の人が、「Luther」を「路帖」と漢字で書き表し、「るうてる」と読んだからです。人名の読み方は「ルター」と改まりましたが、古い読み方がこの学校や教会の名前に残っているのです。聖書との取り組み・教会の改革(1483-1546)
マルティン・ルター(1483~1546)はドイツの宗教改革者です。農民の子として生まれましたが、炭鉱夫として成功をした父の意思からエルフルト大学で一般教養を学び、法学を学びます。将来を嘱望された学生でした。ところがある日、雷に死の恐怖を味わい、ルターは修道士になる請願をたてました。そして、アウグスチヌス派の修道会に入り、神学を修め、やがてヴィッテンベルク大学で聖書を教えるようになりました。
彼は、聖書の学びを通して、神様の愛を深く理解するようになり、本当の救いの喜びは人間の条件によって与えられるのではなく、ただ、神様の恵みによって、その人の信ずる信仰を通して与えられるものであるということを知るようになりました。それは、当時の教会が教え、また彼が学んできた神学の考えとは異なっていたのです。当時、教会は救いのためには、信仰はもちろん大事だけれども、それだけではだめで、善い行いをして自分の罪の償いをしなければ救われないと教えていたのです。善いことをすれば天国に行けるけれど、この世で悪いものであったその程度に応じ、天国に行く前に煉獄で、自分の罪を清めなければ救われないというのです。その善い行いにはいろいろな宗教的な行ないが求められましたが、贖宥状(いわゆる免罪符もしくは免償符)を買うことも求められたのです。当時の人々はこれを買って、善いことをして、煉獄にいる自分の肉親が早く天国に救われることを願っていたのです。しかし、この考え方に対してルターは有名な「95箇条」の質問をし、救いがただキリストを信ずることによってのみ与えられることを説いたのです。彼の教えは、異端的なものとされ、ついに国会で審問を受けることになりました。しかし、ルターはこの教えを聖書に基づいて主張をし、これを撤回せず、破門ばかりではなく神聖ローマ帝国から「追放刑」を受けることになりました。
彼は、聖書の学びを通して、神様の愛を深く理解するようになり、本当の救いの喜びは人間の条件によって与えられるのではなく、ただ、神様の恵みによって、その人の信ずる信仰を通して与えられるものであるということを知るようになりました。それは、当時の教会が教え、また彼が学んできた神学の考えとは異なっていたのです。当時、教会は救いのためには、信仰はもちろん大事だけれども、それだけではだめで、善い行いをして自分の罪の償いをしなければ救われないと教えていたのです。善いことをすれば天国に行けるけれど、この世で悪いものであったその程度に応じ、天国に行く前に煉獄で、自分の罪を清めなければ救われないというのです。その善い行いにはいろいろな宗教的な行ないが求められましたが、贖宥状(いわゆる免罪符もしくは免償符)を買うことも求められたのです。当時の人々はこれを買って、善いことをして、煉獄にいる自分の肉親が早く天国に救われることを願っていたのです。しかし、この考え方に対してルターは有名な「95箇条」の質問をし、救いがただキリストを信ずることによってのみ与えられることを説いたのです。彼の教えは、異端的なものとされ、ついに国会で審問を受けることになりました。しかし、ルターはこの教えを聖書に基づいて主張をし、これを撤回せず、破門ばかりではなく神聖ローマ帝国から「追放刑」を受けることになりました。